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告知されて家についたとたんに現実に引き戻されて
悲しみがおしよせた。

旦那の友人のワイフに一年前に乳がんになった人がいたので
とりあえず、その人に電話をした。

そしたら夫婦で即効で家まで来てくれて、
私はまだ泣いてないのに彼女は大泣きだった。

でも今なら彼女がなぜ泣いたのかわかる。
私も同じ状況なら大泣きになると思うから。
その時の私は告知されたばかりで何も始まっていなかったけど
彼女は今まで辛い治療や悲しみを乗り越えてきたからこそ、
同じ状況におかれた他人の苦しみや気持ちがわかったんだと思う。

彼女は両胸全適で同時再建。
胸の開いた服を着ていたけど、実に自然で綺麗だった。
両手を挙げて、

「私を見て こんなに元気なのよ」と励ましてくれた。

彼女を手術した外科医はなんと私を手術する予定の外科医I
恐る恐る、彼の評判を聞いてみると

「あなた、ラッキーだわ!
外科医Iはキレイに切ってくれることで評判がいいの
それにgeneral surgeryで一番偉い人で
私は彼に会うたびにハグしたくなるほど感謝してるのよ」

私はそれを聞いてかなり安心した…
担当外科医を変えてもらおうかと思ってたくらいだから。



だけどその日の夜から数日間、私は生きたシカバネ状態になった。
夜中に目が覚めては

「これって夢?」


夢じゃないと気がついたとたんにドーンと落ち込む。
時間があるとネットで乳がん検索。
誰かが亡くなった記事を読んではまたドーンと落ち込む。



「私、もう死ぬのかな…」

死んだらアメリカで焼いてもらって骨は
半分アメリカで半分は日本の両親へ届けてもらおう。

お気に入りのブランドのバックや宝石は日本へ送ろう。

私のお気に入りのお鍋やお皿は旦那の再婚相手が
使うのかしら?
それは嫌だからオークションで死ぬ前に売ってしまおう。

とか… 



そんなことばかり悶々と考えていた 

自分が死ぬ心配をしていることすら信じられなくて
まだ乳がんを受け入れられていない時期で

それは生涯で経験したことのない、相当な辛さで
頭がショックで白髪になっていないか鏡で調べていたくらいだった。
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2010.02.28 告知の日
2010年1月4日は私にとって生涯忘れることのできない日。

何年働いていてもまだ迷ってしまうと言われるくらい
迷路みたいに広い病院
この日は針生検を受けたRadiologyとは別の場所、General surgery
で外科医から結果を聞くことになっている。

まだ、がんと決まったわけじゃないのにすでに腫瘍外科医
最悪の結果が出た場合、話が進みやすいから当然か。

General surgeryの待合室にいると乳がんナースAが現れた
今日も彼女が付き添ってくれるなんて知らなかったから少し驚いた
もしかして私の結果が悪いから来たのかもと思った。

待合室から個室へ入ってドキドキしながら腫瘍外科医を待っていたら
外科医のアシスタントがやってきて私に色々質問して

「そのがんはいつごろ見つけたの?」


  「えっ、がんだったんですか?」


ナースAとアシスタントの顔色が一瞬青ざめて

「あ、僕もまだ知らないんです
腫瘍外科医Iが来るまで待っててください。」

そそくさと立ち去った。




しばらくすると外科医Iが部屋に入ってきた。


私の想像していたドラマに出てくるような“外科医”とは違っていて
ずんぐりむっくりで怖い顔をしたアジア人のおっさんだった。

日系だろうか?それとも中国系?

胸に金色のネックレスがちらりと光りパチンコ屋さんに座っていそうな
白と黒の縦じまのズボンを履かせたらとても似合いそうな感じで
外科医Iの印象はすこぶる悪かったけど

この時の私は彼の本当の姿をまだ知らなかった。

そのまま表情を変えずに腫瘍外科医Iは私たちの前に座り
その後ろには乳がんナースが立っていて私の顔をジッと見つめていた。

「がんですね」





旦那の腕を無言でぎゅーっとつかんでぐったりと
私は旦那の方へ倒れた。
旦那は身動き一つしなかった。

この時の腫瘍外科医Iの話によると、
がんは1センチくらいでこれから検査をしていくけど
たぶん、温存も可能だろうということ。
その場合、放射線治療を入れると生存率は全適と同じだけど
全適を選ぶ人もいるからそれは私の意思で決まる。

あと、温存すると私のように胸の小さい人はかなり胸の
形が崩れてしまい、全適して同時再建したほうが術後の
結果がいいと思うといわれた。

その後に言われてショックだったのは

「抗がん剤はやることになると思うよ」

「え、でもがんが小さいとしなくていい場合も
あるんですよね?」

「でも、君のように若い場合はやると思うよ」

「私、若くないんです、もう40過ぎてますから」

腫瘍外科医I無言…


たぶん、私は小柄だから30代に見えたんだと思うけど
外科医Iとはたぶん同年代。


その後、腫瘍外科医Iは私の胸を触診して一言

「小さいな」

それってがんが小さいっていう意味かしら?
それとも私の胸の大きさの話? 



外科医Iは話の途中、何度か部屋を出て行った。
ナースAの話では他の部屋でも誰かが
乳がんの告知をされているという。

その人の気持ちを考えると悲しみは倍になったけど
まだこの日は涙をひとつぶもこぼしてなかった。

帰りがけにナースAが数枚の紙を渡してくれた。
ナースAは外科医Iとの会話を私のために記録してくれていたのだ。

「頭が真っ白になって何を話したか覚えてないこともあるから」

感謝した。

「これから大勢のドクターとアポイントを取ることになるからね」


この広い病院で、これからどこへ電話をしてどんな予約を取っていいのか
わからないって一瞬心配したけどその必要はなかった。

翌日の朝7時から私の電話はジャンジャン鳴り続けて
あっと言う間に7つのアポイントメントが埋ってしまった。

この広い病院の中、建物が違っても
ドクターとドクターの距離がどんなに離れていても、
この人たちはがん患者の為にチームで働いていて
今、患者に必要なことを最速で用意してくれている。

ドクターやナース達は自分だけのために
働いてくれていて、私は特別にケアされている。

私は検査が進むたびにそう感じることが出来た。
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