上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010年1月19日手術3日前、
外科医Iとのアポで全適か温存かが決まる。

アポにはいつも私一人ではなくて
旦那、看護学生二人、乳がんナースの4人がセットで
ついてきてくれるから心強かった。

乳がんナースは私以外にも多くの患者を担当していたと
思うけど、一人一人の患者に「私だけのナース」だと
思ってもらえるように仕事をしていると言っていて

彼女は確かにその通りの仕事をしていた。

旦那も最初の針生検と遺伝子検査を除いてのすべての
アポに付き添ってくれた。
職場に「妻が乳がん宣言」をしてきたので
仕事を抜けるのはOKらしい。

ナースも学生も来るから仕事を抜けなくても大丈夫だから、
と言ったけど

「がんになった妻のアポについていかないと職場で僕は
“冷たいハズバンド”のレッテルをはられるよ」

だったから気にせず一緒に来てもらうことにした。

話すのは私とドクターだけで
ナースAは私のために会話を記録して
学生二人は勉強中で
旦那は会話を黙って聞いていた。

外科医Iが部屋に入ってきた。
相変わらず怖そうだけど若い学生二人もいるからか
前回よりは柔らかい雰囲気だった。

「形はどうなってもいいですから温存にしてください。
ブラが止まるお肉さえ残ればそれでいいです」



するといつもは黙ってる旦那が

「全適になっても胸筋を鍛えればブラはとまる!」


 えーーーーーっ


あたしにボディビルダーみたいに胸筋ををムキムキに鍛えて
それでブラを止めろってか?

部屋中がしーーーーんとなったところで

「んなこと出来るわけないだろ?」と私が即刻却下
(会話は英語だけど)


外科医IはMRIを見てくるから待っててと部屋を出て行った。



戻ってきた外科医I、

「MRIに写っていたのは左胸にがんがひとつ、
良性のう胞がひとつ
右胸に良性のう胞が3つだったよ」

右胸にのう胞があるのは知っていた。
告知されて3日後くらいに右胸を触っていたら
クリクリしたものがあるのを見つけて
即日でエコーをしてもらったら、今度は画面に
真っ黒な円形の物体が写り、のう胞だということだった。

MRIでものう胞が写っていたのなら安心だったけど
エコーでは二つだと言われていたから少し驚く。

良性のしこりが出来やすい人は乳がんになりやすいと
いうことなので、要注意で
おまけに私の胸は乳腺が多すぎてマンモでしこりが
写ってなかった。

なのに、私は年に一度の検査でマンモしか撮ってなかった。
マンモ+エコーをやるべきだった。

エコーだけでもわからないガンもある。
石灰化はエコーやMRIには写らなくてマンモには写る。
だからお金がかかっても両方ぜったいにやるべき。
お金は働けば戻ってくるけど、命は戻らないし
発見が遅れたらその分、治療費も高くなるから。




話は戻り、外科医Iの説明は

「温存にしても全適にしてもリスクは同じだから温存できるよ」

「じゃ、温存でお願いします。
形は気にしませんから、取るべき予定の組織よりも
余分にとってください。」

とお願いした。

全適でもいいと思っていたけど、
やはり温存になるとわかったら手術についての不安は軽くなった。

あと、私が気にしていたのはドレーンがいくつ、つくかと言うこと。
ドレーンが付かなければそれだけ早く社会に復帰できる。

「手術中にやるセンチネルリンパ節生検
リンパにがん細胞がなければドレーンはつかないよ」


手術までの3日間が待ち遠しかった。
一日も早くがんを取ってしまいたかったし、
腕がいいと評判の外科医Iを信用していたので
手術自体は怖くなかった。

一番怖かったのは術後にわかる病理結果。
これによって私の生存率や治療法が決まる。
気の早い私はこの時すでにズラ探しを始めていて
購入するものも決まっていた。



そして術前の最後のアポは手術前日

血液検査をして妊娠の有無を調べたり、
手術前夜に自宅でやる体の消毒方法などを
教えてもらったり、色んな書類を記入する日だった。

そして手術前夜、
教えてもらったとおりに消毒液が含まれたタオルで
体を全部拭いて準備は万端。

日帰りだから身一つで行けばいいだけ。
当日に着ていく前開きの服も用意した。

その服は日本の家族が送ってくれた脇が着物みたいに
広くなっているもので脇と胸には極力何もあたらないもの。
これは本当に役にたったと思う。

その夜はよく眠ることが出来た。
明日“この野郎”が私の胸から追い出されると思うと
嬉しかった。

スポンサーサイト
2010年1月4日に告知されてから22日の手術までは
あっという間に進んでいった。
検査らしい検査は前回の遺伝子検査と胸のMRIだけだった。

それまで日本の乳がんブログを読んで仕入れていた情報、
骨シンチとか腫瘍マーカーとかそういう検査は全くなく
アメリカ乳がん患者の集まる掲示板で質問をしても
やはり「やってない」という返事ばかりだった。



胸のMRIは両胸を穴から出して40分うつぶせになって
撮るんだけど、身動きが出来ないと思うと
とにかく色んなところが痒くて仕方なくて
鼻ムズムズと戦いの長い40分間だった。

その間、ラジオがヘッドフォンから流れているんだけど
工事現場並みの騒音でラジオはほとんど意味がなくて
耳栓が使えたらどんなにいいかと思った。




そしてmedical oncologist、腫瘍内科医Rと会う日がやってきた。
このドクターは抗がん剤やホルモン剤などの使用を決める人。

噂ではかなり頭の切れる人らしく、
このドクターに見てもらえたらラッキーらしい。
お年を召している様だったので
治療の途中で定年してしまわないかと心配になった。

この日は私の手術もまだ終わってないし
MRIの検査結果もまだ出ていなかったので
具体的なことは何も決まらなくて
ドクターRは私からの質問に答えてくれただけだった。

抗がん剤をやるかやらないかは
MRIに映し出されるがんの大きさ、
術後にリンパ線にがんがあったのか、なかったのかと
初期でさらにホルモン・レセプターのある患者が受けられる
OncotypeDX testという遠隔再発率を調べるテストの結果による。

それがわからないとまだ治療法を決めることは出来ないから
術後2週間後に腫瘍内科医Rと次の予約をとって終わった。

そしてMRIの結果が出た手術前に再度、腫瘍外科医Iと会い
具体的な手術法を決めることになった。

もしがんが他にもあったり、広がっていたりしたら
全適になるので、その場合は外科医Iの後に
形成外科医とのアポも入っていたけど
そのアポは腫瘍外科医Rと会った後にキャンセルすることになった。

外科医Iに会うのは1月19日で
1月22日の手術までもう3日しかなかった。

日本ならもう入院準備か入院済みなのだろうか。

でも、ここはアメリカ
よほどの理由がない限り、基本は日帰りです 
2010年1月4日告知の翌日の朝、電話がじゃんじゃん鳴って
あっという間に7件ばかりの予約が入った。
手術日だけは告知の日に決まっていて予定は2月5日と言われた。

でも、術前の予約をこなしている間にしこりが痛んでどんどん
大きくなっていくような気がして夜も眠れず精神状態ガタガタで
乳がんナースAになんとか術日を早くしてもらえないか
駄目もとでお願いをしたら

その日に手術日が1月22日に変更された。

ナースAはナース暦30年で病院にも顔がきくらしく
私はこの人に生存率を伸ばしてもらったと信じていて感謝しても
しきれないほどお世話になったと思っている。

1月22日の手術日までめまぐるしい検査が始まった。
そしてすべての検査に乳がんナースAは付き添ってくれて
私のためにノートを取り、検査後渡してくれた。



最初のアポイントはジェネティック・カウンセラー(genetic counselor)に会うこと。
この人は私の家族のがん経歴を聞いて、遺伝について説明してくれる。
カウンセリングの後、採取した私の血液をアメリカのユタ州に送り
私の乳がんは遺伝性なのかどうかを調べる。

そのテストの名前はBRCA test

その結果は7日後にわかり、もし陽性なら
次の新しい乳がんが出来る可能性はなんと50%くらいあって
乳がんだけじゃなくて卵巣がんになる確率も高い。

その高い確率を回避するために陽性の人は両胸全適&卵巣除去を
選ぶことができる。
私も陽性ならその方法を選んだ。
でも、親戚家族に誰もがん患者がいない私はたぶん陰性のような
気がしていて、7日後にでた結果はめでたく「陰性」だった。

このテストを受ける重要性は私だけのためではなくて、
私の家族のためもある。
もし「陽性」なら私の血縁家族にもその遺伝子がある可能性が高く、
乳がんと卵巣がんになるかもしれない為の準備ができる。



次のアポイントは放射線ドクターE
このアポイントから私の出身大学の看護学生が二人私に付き添うことなる。
彼女達は手術の日も付き添ってくれたんだけど、おかげで
明るい気持ちになることが出来た。

放射線ドクターEは丁寧に放射線治療について説明をしてくれた。
彼のオフィスには私、旦那、看護学生二人、乳がんナースAがいて
椅子が足りないくらいだった。

放射線ドクターEが私の胸を触診した時に言ったことは
「胸が小さい人が温存すると形が崩れるから外科医Iとよく
相談したほうがいい。」

私は正直、形なんてもうどうでも良かった。
とにかくさっさと切り取って捨ててしまいたかったから。

その夜、旦那に温存にした方がいいのか全適にした方がいいのか
意見を聞いてみることにした。すると彼の答えは

「おっぱいは必要ないと思うし取ってしまった方がいいと思うよ」



  この時、私は乳がんを宣告されてから初めての涙が出た。

胸で勝負できるほど美しい胸でもなかったけど
旦那には申し訳ないと思っていたから。

その後、色々と考えて
胸をもし全適することなっても同時再建をする気はなかったので
胸の形がゆがんでしまっても、せめてブラが出来る肉が残ってくれたら
いいので温存+放射線へと気持ちが固まった。

温存ができるかどうかはMRIを撮ってから
外科医Iの意見を聞いて決まる。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。